グリップ(^^;



さて、先に個々のサメの話の中で、皮が加工品にというのが出てきていたんですが、サメの皮が何に利用されてきたかと言いますと、第一に刀剣の装飾でした。いつから使われ始めたのかは不明で、古墳からの出土品では今のところサメ皮を使っていたらしい物は見つかっていませんが、かなり古い歴史があるであろうとのことです。
現存する最古の物は正倉院に納められている「金銀鈿荘唐大刀」というのだそうで、最古というだけでなく最良の代物だそうで(^^;
聖武天皇が崩御し、その七々忌に遺愛品六百数十点を光明皇后が東大寺大仏に寄進した献納目録(国家珍宝帳)では、百口の大刀が納められているとされていて、それに詳細な解説が付いているそうです。それによるとサメ皮をつかの外装に使っているのは30口で、全体の1/3を占めている事が判ります。
この他にも正倉院には中倉や南倉にも沢山の武具が納められていたのですが、天平宝字八年(764年)に起こった恵美押勝の乱で、内裏警護のためにほとんどが持ち去られてしまい、12年後の点検では北倉には杖刀2口だけと報告されています。
現在、北倉には杖刀(仕込み杖)2口と先の大刀1口があります。
国家珍宝帳に「刃長二尺六寸四分、鋒者両刃、鮫皮把・・・」と説明があるそのものが、残っている金銀鈿荘唐大刀です。
柄の部分17cmに見事なサメ皮が一回り巻かれて裏の中心で毛抜きあわせにして貼り、鋲で止めて、把頭は唐草形の透かし彫りの銀地に鍍金した金具が飾り、鞘は緑と青、朱の瑠璃玉や水晶をちりばめた黒漆塗りの上に、末金鏤という研出しの蒔絵が施してあるという、書いているだけでも高そうな豪華な刀ヾ(^^;)
どうしてこのとんでもなく目立つ物が、戦乱の時も、点検の時も見逃されたのかが不思議だそうです。

国家珍宝帳に出ている大刀百口の把を大まかに分けますと、「鮫皮裹把」と「牟久木把」というのに分けられるそうで、サメ皮を使っている30口はどれも金銀を使った高級品で、その他は鉄装の実用品だそうです。
ちなみに、現存している2口の杖刀の内の一つも「鮫皮把金銀線押縫以牙作頭」という立派な物だそうです。

唐大刀というのは、唐製の大刀ですので、八世紀唐時代の渡来品のようですが、「唐六典」という中国各州の産物の貢賦を記した物の中で、サメ皮は安南から刀は呉からと書いてあるので、ベトナム方面でとれたサメ皮を使って呉で刀装にしたものであろうとのことです。
この時代の大刀でサメ皮を使っている物としては、東大寺大仏殿の須弥壇の下から発掘された「金銀鈿荘大刀」という国宝になっている物があるそうですが、これは破損がひどくて柄の部分はほとんど朽ち果てているそうですが、それでもサメの粒が付着していたことからサメ皮を使っている物であることが判ったそうです。
先にも書いたように、いつ頃から刀剣にサメ皮が使われるようになったのかという資料は無いそうで、古墳から出土する環頭大刀や頭槌大刀等にはサメ皮は見あたりません。刀の本場中国でも「呉物志」や「後漢志」「本草音義」などで文献上は見られるそうですが、実物資料はいまだ不明だそうです。
恐らく、中国での唐風の新しい様式か、それ以前に用いられていた物が日本に渡って発達した物ではないかとのこと。

日本刀の研究というのは刀身の研究はされてきたのですが、外装の研究は今ひとつという傾向があるそうで、特にサメ皮となりますと、江戸時代の稲葉通龍という人でストップ状態(^^;
現在過去の物を対象に研究してもそれは非常に困難なことで、天明五年(1785年)に出された「鮫皮精義」という2巻の書物以上に進展させられるとは思えないそうです(^^;

で、サメ皮を刀に使った理由なんですが、実用的な方では、サメ皮は粒々があるので滑らないと言うのがあります。今でも大型の包丁の握りにサメ皮が使われることがあるそうです。
刀の柄に求められるのは、手に馴染みやすい事と、血糊や水で濡れても滑らないことと長持ちすること、加工が楽で美しいこと等があります。
この条件を満たせる材料というのはそうそうありません(^^;

鮫柄として使用されたサメ皮は国産の物は少ないそうで、室町時代には勘合貿易で明や南蛮から朱印船で運ばれていまして、鎖国が始まった後もオランダ船で長崎にもたらされていたそうです。
文献として残っている物ですと、慶長十七年(1612年)にシャムの商船の船頭が家康にいろいろな珍品の一つとして献上している記録があるそうで、慶安三年(1650年)には8400枚、正徳元年(1711年)には柄鮫10839枚、鞘鮫1083枚、海子というサメ皮700枚という記録があり、江戸時代中期には盛んに輸入されていたようです。
柄鮫の名前は産地名で呼ばれていたそうで、最上品は「チャンぺ」といいまして、現在のベトナム中部から南部にかけて、インドネシア系のチャム族が建国した、2世紀末から17世紀末まであった、占城(Champa)という国でとれたサメのことだそうです。
これに次いで、東埔塞(カスタ)というカンボジア産のものが良い物とされ、その次が聖多點(サントメ)というインドのコロマンデル地方産の物が続いています。このチャンペとカスタの違いは説明しにくいようで、何か妙に文学的な表現でその姿を書いています(^^;
同じチャンペでも必ず高いとは言えなかったようで、百金の物もあれば金百疋になりかねるという品物もあったようです。ただ、サントメ産の物で50金の物がもしチャンペ産だとしたら必ず百金にはなったそうですから、品位としてはかなりの差があったようです。
他にもいろいろとありますが、これらは真鮫といって性質の良い柄鮫とされていました。それ以外に類違いというのがありまして、鞘鮫にするカイラギの腹の方にチャンペなどから剥落した粒を巧みに入れ込んだ細工物で入鮫とも呼ばれたものがあるそうで、最高品は、間物とよばれ、羽広、海子等が続きます。

で、これらの美しいサメ皮は実はサメ皮ではなくエイ皮なんだそうですが、日本近海でとれるサメと外国産のエイは同じ物として、古くからサメ皮と呼んでいました(^^;
これらの「サメ皮」がとれるエイは日本近海には居ませんで、アカエイの仲間ですが和名は持っていません。ツカザメ(柄鮫)とかツカエイという通称はありますが(^^;
では、いろいろな刀に使われているのがどの種なのかと言うことなんですが、それを判断するのは非常に難しいそうで、というのもサメやエイの種類が多いことがまず一つなんですが、これらの生き物の皮は体の部位によって粒の様子が違い、老若によっても差が大きいので、刀の柄のように本当に皮のごく一部を使っているものから種の同定をするのは、よほど特徴のある物でないと出来ないそうです。
             99/2/4(Thu) 05:55pm NCA03130 あお
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